暗闇は、粘性を帯びていた。  この部屋は今や彼女の巣へと成り果てている。  かつての上品な装飾は引き剥がされ、壁や床は生きているかのように蠢く黒い帯に覆い尽くされていた。  その部屋の中央、かつてはゴッドドラモンが眠ったであろう豪奢なベッドの上に騎士はいた。  衣服という最後の尊厳さえも奪われ、晒された白い肌を数本の黒い帯がまるで蛇のように絡め取り、ベッドの四隅に縫い付けている。  抵抗しようにも、指1本動かせない。  そして、彼の目の前に悪夢の化身がゆっくりと姿を現した。  人虎、EXイレイザーヘータ。  腕のない歪な胴体、獣のように裂けた口と燦々と輝く目、そして背中で不気味に蠢く巨大な目の羽。  それはディエースという女が被っていた薄っぺらい仮面を剥ぎ取った、彼女の真の姿だった。 「ねぇ少年。アタクシの本当の姿どう? 素敵でしょ?」  その声は、かつての少女の面影を残しながらも、スピーカーを通したように無機質で歪な反響を伴っていた。 「今から君とアタシだけの特別なゲームをしましょ。君のぜーんぶを、アタシが味わうための、と~っても気持ちの良い『お掃除ゲーム』よ」  ヘータの太腿から伸びた、太く禍々しい光沢を放つ黒い帯が、ゆっくりと騎士の眼前へと持ち上がる。  その先端についた、あらゆる論理を嘲笑うかのような歪な鍵が、青白い光を明滅させた。 「この鍵でね、君の中をハッキングしてあげる。君を最高の快楽で満たしてあげるわ。  でもね、君が気持ち良くなって、その大事な命の素を出しちゃうたびに、君の大事な記憶が、ひとつ消えちゃうの」  その宣告は、悪魔の契約書だった。 「どう? スリル満点でしょ? アタクシ、本当は少年の子供を産んであげても良いかなって思ってるんだけど……残念、アタシのお腹、見ての通り無いのよねー。  君がこれから射す生命の源は、ぜーんぶ、無駄になっちゃうってわけ。  命を作るための尊い行為を、ただの快楽のために捨てていいのかしらね~?」  騎士は、屈辱に顔を歪ませ、歯を食いしばった。 「……ふざけるな」 「あら、まだそんな口がきけるのね。嬉しいわ」  ヘータは喉の奥でくつくつと笑うと、鍵のついた帯を騎士の足の間へと、ねっとりと這わせていく。  騎士の昂ぶった性器を、無機質な鍵が冷たく撫でた。 「じゃあ、始めましょうか」  その言葉と同時に、鍵が何の躊躇もなく騎士の後ろの穴へと深々と突き刺さされた。 「ぐ……う、ああッ!?」  肉を貫かれる痛みではない。神経を直接焼き切られるような、異質な激痛とそれに反する脳髄を痺れさせるような背徳的な快感が、同時に全身を駆け巡る。  体内で、鍵がカチリと回る。瞬間、騎士の肉体はもはや彼の意志とは無関係にヘータの意のままに操られる人形と化した。 「ん……ぅ、あ、やめ……!」  腰が、意思に反して大きく跳ねる。黒い帯が彼の屹立した先端を嬲り、快感の信号だけを脳へと送り込んでくる。  思考が溶けていく。理性という名の薄い壁が、快楽の津波によって脆くも崩れ落ちていく。 「いい声。もっと聞かせて」  ヘータは囁き、鍵をさらに深く捻じ込んだ。騎士の体が大きく痙攣し、熱い奔流がシーツを汚す。  絶頂の白い闇の中、彼の脳裏に、優しく微笑む母の顔が浮かんだ。大好きだった、温かい笑顔。  それが、砂のように、さらさらと崩れて消えていく。 「あ……」  誰だ? 今の女は。わからない。思い出せない。 「どう、ヒーロー? 余計なものがなくなって、スッキリしたでしょ? 気持ちよかったものねぇ」  恐怖が遅れてやってきた。自分のもっとも根源的な部分が、今、確かに削り取られた。 「やめろ……やめてくれ……!」  涙ながらに懇願するが、ヘータはただ楽しそうに見下ろすだけだった。 「やだ。だって、まだ欲しいんでしょ?」  身体は正直だった。快楽の残滓に打ち震え、次なる刺激を求めて疼いている。  再び、黒い帯が這い回り、鍵が回される。  騎士は必死に抗った。快感に溺れてはいけない。だが、彼の身体はもう快楽と記憶の消去をセットで学習してしまった。 「ああッ……! ん、く……!」  2度目の絶頂。今度は、故郷の街で友達と笑い合った夏の日の記憶が消えた。  抜けるような青空も、汗の匂いも、友の名前も、すべてが靄のかかった風景画のように色を失っていく。 「気持ちいい……よねぇ? いらないものを捨てるのって、こんなに気持ちいいのよ」  ヘータの言葉が、悪魔の福音のように脳に染み込む。  そうだ。気持ちいい。忘れることは楽になることだ。この苦しみから解放されることだ。  もう騎士の瞳に抵抗の色はなかった。ただ、次なる快楽と忘却を求める虚ろな光だけが宿っている。  何度繰り返しただろうか。  ズバモンとの出会いも、ユンフェイとの剣戟も、レイラと交わした誓いも。  彼が「騎士」として積み上げてきた物語のすべてが、汚れたシーツの染みと引き換えに次々と消去されていった。  そして、ついに最後の記憶にたどり着く。  彼の魂の根幹を成す、黄金の光に包まれた愛しい相棒の姿。 「ナイト!」  自分を呼ぶ、その声。 「……あら、まだ残ってたんだ。しぶといわねー、君の大事な相棒は」  ヘータは、まるで最高のデザートを前にしたかのように、うっとりと目を細めた。 「最後は特別。アタシの本当の体で、君の全部を空っぽにしてあげる」  彼女は騎士を縛り付けていた帯を解くと、その無抵抗な体の上にゆっくりと跨った。  獣の獰猛さを宿す顔、美しく豊満な乳房、そして腹部が存在せず剥き出しの背骨が直接腰へと繋がる冒涜的な身体構造。  その異形の中心に、生々しく濡れそぼった完璧な女性器が存在していた。 「見て。アタシの中、君でぐちゃぐちゃになりたがってる」  粘つく水音を立てながら、熱く開いた肉弁が、騎士の昂ったそれをゆっくりと飲み込んでいく。 「ん……ぅ……ッ!」  鍵による電子的な快楽とは違う。生身の肉が絡み合う原始的で抗いがたい熱。  騎士の体内で、ズバモンとの最後の記憶が、消されることを拒むかのように激しく明滅した。  彼の魂に最後に残る黄金の剣。 「忘れなさい」  耳元で、ヘータが甘く囁く。 「その邪魔な思い出を消したら、もっともっと気持ちよくなれるわ。アタクシと1つになれるのよ」  腰が、激しく動き始める。浅く、速く、騎士の理性を執拗に削り取っていく。 「あ……ああ……だめだ……ズバ、モン……!」  抗おうとする意思とは裏腹に、身体は快楽に沈んでいく。  記憶が薄れる予感が、恐怖ではなく、次なる快感への序曲のように感じられ始めている。 「そうよ、いい子。名前を呼んであげなさい。そいつとの最後の別れの言葉になるから」  ヘータが深く、深く、腰を沈めた。  騎士の子宮が内側から抉られるような、凄まじい衝撃。思考が、快感の閃光で真っ白に焼き切れる。 「ずば……もん……ッ!」 魂からの絶叫と共に騎士の体が大きく痙攣し、熱い奔流が彼女の存在しない腹部の奥底へと注ぎ込まれた。 「あ……ああ……ああああああああああああっ!!」  これまでで、もっとも激しい絶頂。  騎士は、人生で最後の涙を流した。  それが誰のための涙だったのか、もはや彼自身にも分からなかった。  射精が終わると、騎士の体はぐったりとベッドに沈んだ。  その瞳は、何も映していなかった。  喜びも、悲しみも、絶望さえも。磨かれたガラス玉のように虚無を映しているだけ。 「……あれ?」  ヘータは、少しだけつまらなそうに首を傾げた。 「壊れちゃったのかしら」  彼女は、興味を失った玩具を眺めるように、空っぽになった騎士を見下ろすと満足げに、あるいはどこか寂しげに笑った。 「……しょうがないわねー。今日から君は、アタシのヒーローじゃなくて……アタシの『ポチ』よ」  ヘータは、騎士の首に黒い帯をそっと巻き付けると、命令した。 「ほ~らポチ、お手」  虚ろな瞳のまま、ポチは主人の命令に忠実に従い、ゆっくりとその手を差し出した。