かつてプロロ王国の冒険者だったユーリン・レンハート。  彼はある時不思議な少女シュガーと出会い、自分の両親の故郷を目指して遥かなる旅に出た。  しかし当時は各地で魔王が乱立する魔王戦国時代真っ只中…彼らの道程には各地の魔王が幾度となく立ちはだかった。  ユーリンはたくさんの仲間たちと手を取り合って戦い、各地を支配する魔王たちを次々と討ち果たしていった。  森を越え、雪原を越え、海を越え、砂漠を越え…やがて勇者と呼ばれるようになった彼はついに終着点ソアラ=ツキーヌにたどり着く。  そして最後の敵…勇者の魔王を討ち倒しあらゆる種族が手を取り合う国、レンハート勇者王国を築いたのだ。  ―――これが勇者ユーリンの冒険譚…レンハートの子供たちはこれを寝物語に聞いて育ち、一度は勇者に憧れる。 「オレも…いつか立派な勇者になるんだ…!」  それは、彼の子息である王子であっても変わりはない。  レンハート勇者王国第三王子、クルーズ・ディ・レンハート…彼は何度も読み込んで擦り切れた絵本を閉じて眠りにつく。  日増しに大きくなっていく冒険への憧れを胸に秘めながら…  * * * * * * * 「一人旅に出たい…ですってぇ?」  相談を受けた第四王女メラニーは思わず素っ頓狂な声を上げる。 「うん!だから父様たちを説得するの手伝ってよメラニー姉様!」  相談主は第三王子クルーズ、その年齢は10と少し。旅に出るにはあまりにも幼い。  当然、一人旅の希望は両親や大臣たちに反対されたのだろうがどうやら引くつもりはないようだ。 「一人旅じゃないとダメなの?ローシュと一緒とかは…」 「ローシュと一緒だといつもと変わらないじゃん!オレは一人旅がしたいんだ!」  弟のキラキラ輝く眼差しに気圧され思わず遮りながらもメラニーは思案する。  クルーズは大臣から剣の指導を受けているし氷魔法も達者だ、この年齢にしてはかなり強い方だろう。  だが実戦の強さと旅の危険さは話が別だ。この世界には狡賢く悪い大人で溢れ返っている。  よく言えば無垢な…悪く言えば世間知らずな弟が一人で旅立てばどんなことになるか…悪い想像をするのは容易だ。 「ダメよ、あんたはまだ子供すぎる…王都の冒険で満足しときなさい」 「えーっ!?メラニー姉様までそんなこと言うの!?」  口を尖らせて抗議するクルーズに、メラニーは助けを求めるように明後日の方向に目を向けた。  そこにいるのは偶然帰国していた第二王子のラーバル、第三王女のスパーデ…急に振られた二人もまた困ったように眉を顰める。 「クルーズ…あまりメラニーを困らせるなよ、旅ってのは危険なんだぞ」 「ああ、まずは国内で見聞を広げるといい…お前に一人旅はまだ早い」 「ラーバル兄様とスパーデ姉様まで!…例えばどんな危険があるっていうのさ?」  クルーズに問われた二人はそれぞれの旅の思い出を振り返る。  行った場所は二人とも違えど、思い返せば数多くの危険を経験してきた。 「例えば…サンク・マスグラードの北の巨獣だな…山ほど大きな鯨が大地を喰いながら襲ってくるんだ。あれは危険だった…」 「東国では夜な夜な妖怪が出たな…奴らめ、対策を知らねば初見殺ししてくる連中ばかりで何度危ない目にあったか…」 「あとオーロラの嵐…凄く綺麗なんだけど膨大な魔力波が降り注ぐからうっかり屋外にいるとメチャクチャ危なくて…」 「綺麗と言えば極東一高い不死山だな、まさしく絶景だったがあそこに生息している魔物は本当に強かった…」  ついつい思い出話に花が咲くラーバルとスパーデ…思えば旅で色々な経験をしてきたものだ。  クルーズはそんな二人の話を聞きながら目を輝かせる。 「すっげー!!やっぱりオレも旅に出たい!!」 「アンタら!!本当に止める気あるの!?」  メラニーが二人の姉弟にツッコむも時すでに遅し、旅の話を聞いたクルーズの瞳には既に冒険心の炎が宿っていた。  このままでは今日にでも飛び出して行きかねない…断腸の思いでメラニーは幼い弟に言い放つ。 「とにかくダメだからね!!あと三年は待ちなさい!!」  にべもなく協力を断られたクルーズはとぼとぼと城の廊下を歩く。  あと三年…メラニー姉様はそう言ったがこの気持ちを抱えたまま三年はとても耐えられない。  それに妹のソリューだってメイド付きとは言え旅に出た経験がある。あれから妹は一回り大きくなった。(気がする)  自分だけが置いていかれるような焦燥感…今反対を押し切ってでも旅に出たい理由はそれも小さくない。  モヤモヤした気持ちを抱えたまま城の廊下を歩く彼は、気がつくと中庭へと足を運んでおり… 「何かお悩みのようでござるな、少年」  不審者がいた。 「き…君は…?」 「おっと、これは申し遅れたでござるな…拙僧の名はベンケイ、今はスパーデ殿のお供をしているでござる」  白頭巾で顔を覆った大男…どう見ても不審者以外の何者でもない彼はそう名乗る。  そう言えばスパーデ姉様が旅から帰ってきた時に同行していた冒険者が城に居着いたとか…クルーズはそんな噂を思い出した。  とにかくいくら不審な見た目とはいえしっかりと名乗ってきた。名乗り返すのが王族の礼儀というものである。 「オレはクルーズ・ディ・レンハート…この国の第三王子だよ」 「うむ、スパーデ殿より聞いているでござるよ。齢十そこそこにして才気煥発、将来有望だとか…」 「えっ、姉様がそう言ってた!?…ヘヘ…」  普段は無口な姉が自分をそう評していたことに嬉しいやら照れ臭いやらでクルーズは頬を掻く。  しかしそうなると解せないのはさっきの出来事だ。認めてくれているならば一人旅を許してくれてもいいじゃないか…  気がつけば、クルーズは抱えていた悩みや不満を目の前のベンケイへと打ち明けていた。  それを聞いたベンケイは大仰にうむうむと頷いて見せる。 「なるほどでござるなあ…やはり男子なれば旅に憧れるもの、お気持ちは痛いほどわかりますぞ」 「でしょ!?なのに何故か皆オレに対しては過保護なんだよ!兄様も姉様も旅に出てるのにさ!」 「家族とはそういうものでござる。しかしそんな理由ではクルーズ殿の気持ちも収まりますまい…なれば…」  そこでベンケイは己の懐をまさぐると、どういう手品か一体の巨大な人形を取り出した。  驚いて思わず仰け反るクルーズに対し、彼は急にシステムじみた口調で解説する。 「これは… デコイにんぎょう でござる  デカいにんぎょう ではないでござるよ  この人形は使用者とそっくりに変身し、敵の目を欺く能力を持っているでござる  つまり人形の耐久力が保つ限り戦闘でのダメージを肩代わりしてくれるでござるな  戦いにおいて決して倒れてはいけない要員が使用するのをオススメするでござるよ  ちなみに、バニラタイプは各マニメイト店舗で公式グッズとして販売中でござる」  そこで一息つくとベンケイは改めてクルーズへと向き直る。 「…とまあ、ようするにこれは影武者になってくれるアイテムでござる」 「(今の解説何だったんだろう…)…その人形がどうかしたの…?」 「フフフ…悪巧みはまだまだでござるなクルーズ殿…これを使って城を抜け出せばしばらくはバレないということでござるよ」 「ええっ!?」  つまりは家出である。  今まで考えたこともない旅立ちの方法にクルーズは激しく動揺しながらも、同時に強く胸が高鳴るのを感じる。  これはきっと悪いことだ、普段のイタズラとは比較にならない混乱が起きてしまうだろう。皆をひどく心配させるかも知れない。  だが…一度火がついた冒険心、それを止めることは不可能だ。 「…本当に大丈夫かな、そんなことして」 「男の旅立ちとはそういうものでござる…ワクワクするでござろう?」 「正直すっげーワクワクする…!」 「それで十分!心の赴くままに行かれるがよかろう、若者よ!」 「うん!ありがとう、ベンケイ!」  先程までの曇り顔から一転、輝く笑顔を見せたクルーズに最早迷いはなかった。  デコイにんぎょうを背負って自室に向かう彼を腕組みして見守っていたベンケイは、ふと思い出したかのように声をかける。 「ちなみに、最初の目的地はどこにするでござる?」 「プロロ王国!父様はそこから旅を始めたんだ!」  なるほど、血は争えぬか…返ってきた答えに頷きながらベンケイはその背を見送った。  プロロ王国ならば大それた悪党もいなければ危険な魔物もそれほどいない。旅を始めるには最適だろう…  …それに良い国だ、デッカい夢がそこかしこにある。それを回想しながらベンケイは意味深に呟いた。 「…本当に血は争えないようでござるな…」  その夜…第三王子、クルーズ・ディ・レンハートはデコイにんぎょうを残し勇者王国から密かに旅立った。  問題は割とすぐに発覚して大きめの騒動になり、家出の手引きをした犯人はスパーデ王女に切腹を迫られることになるがそれはまた別の話。  * * * * * * * 「プロロ王国に行くのかい」 「本当にプロロに行くのかい」 「プロロうどんが食べたいのかい」 「プロロ何も無いよ」 「なにもない」 「プロロ見るとこないよ」 「ナンニモネェ」 「千段水田はコメトレルデだ」  * * * * * * * 「ここを抜ければ…プロロ王国!」  プロロ王国王都ハジマリー、その近郊のチカックの森…  馬車での道中、目的地の散々な風評を聞きながらもついにここまで来たクルーズは大きく深呼吸する。  この先の国から父…ユーリン・レンハートは勇者としての一歩を踏み出したのだ。自然と胸も高鳴り…高鳴って… 「…あまりに平和すぎない?」  暖かな木漏れ日と鳥のさえずり、たまに襲ってくる魔物も非常に弱く脅かせばすぐ逃走する。  どことなくゆるい空気が漂う田舎道に、クルーズは激しい脱力感を感じながら王都への道を往く。  ずっとこんな感じだったらどうしよう…そんな心配が脳裏を過ぎった、その直後であった。 「うわっ!」 「おおっ?」  歩きながら考え事をしていたクルーズは前から来た巨大な影にぶつかった。 「おい!気をつけろガキ!」 「ご…ごめんなさい!……ってデッカいカマキリ!?」  その影の主は節を持つ巨体に細い四本の脚、そして大斧になった二本の腕…巨大なカマキリそのものの姿をしていた。  巨大カマキリは驚いたクルーズの反応を見、大きな目でじろじろと眺めまわす。 「この俺様を知らねえとはプロロのガキじゃねえな……いや、待てよ…?」  燃えるようなツンツン赤髪…勝気そうな眼差し…端正な顔立ち…  その面影に、巨大カマキリはとある人物を思い出して斧手を打った。甲高い金属音が響き、火花が散る。 「オマエ、もしかしてユーリンの息子か?」 「えっ!?父様を知ってるの!?」 「やっぱりかあ!似てると思ったぜ!憎たらしい顔立ちがそっくりでいやがる!」  そう言って感慨深そうに目を細める巨大カマキリ。  まさかいきなり父様の知り合いに遭遇するとは…クルーズはこの出会いにちょっとした運命を感じた。  ただ…気になるのは目の前の魔物がどう見ても悪い魔物というところだが… 「ねえ、君は父様と一体どういう関係なの?」 「クックック…やつに聞いちゃいねえか?まぁ無理もない…忘れたい過去だろうからな…」 「気になること言うなあ…勿体ぶらずに教えてよ」 「よーし、いいだろう!ならば耳の穴をかっぽじってよーく聞きやがれ!」  巨大カマキリは両腕を大きく広げ、斧手を天に掲げる。  物騒な二枚の刃が陽光に照らされてぎらりと鈍い光を反射した。 「俺様の名は初物狩りのランバージャック!かつて勇者ユーリンを一番最初にブッ倒した大魔物よ!」 「え…?」  その言葉に、ラーバルはぴしりと固まる。  改めてランバージャックと名乗った巨大カマキリを見るが…体こそ大きいもののとても強そうには思えない。  もし実際に戦えば一秒とかからず父様は彼を瞬殺するだろう…そのくらいの力量差を感じずにはいられない。  得意げなカマキリの表情に、子供の冷酷な視線が突き刺さる。 「絶対ウソでしょ」 「なっ…ウソじゃねえ!ヤツに最初に現実の厳しさを教えてやったのはこの俺だ!」 「そんな話聞いたこともないもん、ていうか君の存在自体今ここで初めて知ったし…」 「こ…このガキ…!言わせておけば…!」  にわかに殺気立ったランバージャックは斧手を構え、宿敵の息子を睨み下ろす。  対してクルーズはそれに応じ氷剣を生成し構える。ランバージャックの言葉の真偽は戦ってみればすぐにわかるだろう。  一触即発、両者の間に緊迫の空気が奔る。 「オマエにも初めての挫折を味わわせてやらあ!」 「言っとくけど、オレ結構強いから!」  そして戦闘が開始した。  先手を取ったのはクルーズ。素早い身のこなしで敵の懐へと潜り込むと、大臣仕込みの剣術で逆袈裟に斬りつける。  対するランバージャックは敢えて回避しない。甲殻でクルーズの剣を受け、年齢不相応のその衝撃に軽く目を見開く。 「おおっ、言うだけのことはあるな…!」 「まだまだぁ!それっ!」  続けてクルーズは詠唱し空中に氷の矢を複数生成、合図と共にカマキリの巨体を一斉射撃する。  ランバージャックは斧手の腹で氷の矢を防ぎながらも魔法の精度を吟味し、小さく唸った。 「たまげたぜ…その年齢でこのレベルの魔法まで使えるのか…!」 「へへっ、降参するなら今のうちだよ!」 「だがな、ガキンチョ…」  巨大な螳螂の斧が振り上げられる。  威圧感に危険を察知したクルーズは咄嗟に攻撃を中断、防御の構えを取った。  しかしランバージャックはお構いなしだ。ただシンプルに、振り上げただけの斧手をそのまま思い切り振り下ろす。 「俺様に挑むにはレベル不足だ!!」  チカックの森に響き渡る轟音に、鳥たちが一斉に飛び立つ。  もうもうと上がる土煙が晴れると…そこには防御ごと地に叩きつけられたクルーズが倒れ伏していた。  衝撃が脳を揺らし、手足が激しく痺れて立ち上がれない…たった一撃、しかも防御の上から受けた一撃でノックダウンだ。  勝ち誇ったランバージャックは悠然とクルーズに近づき、焦点の合わない目を覗き込む。 「これが初めての敗北ってやつだ、よーく噛み締めておくんだな」 「う…あ…」  何が起こったのか分からない…防御は間に合ったはずだ。  ただそれでも魔物の巨体から繰り出される質量攻撃はクルーズの小さな体では到底受けきれるものではなかったのだ。  完全に誤算だった…起き上がれないクルーズの体を、ランバージャックは斧先に引っかけて吊るし上げる。 「ククク…じゃあ、敗北の証としてそのカワイイ顔に男の勲章をつけてやるぜ!鏡見る度に俺様のことを思い出しな!」  どうやらユーリンに忘れられていたことが相当腹に据えかねていたようだ。  今度は忘れられないよう目立つ位置に一生モノの傷を残そうと、鋭い斧手がクルーズの顔間近に迫る…!  その時であった。 「そこまでよ」  何処からか発射された魔法弾が襲いかかり、たまらずランバージャックはクルーズを解放し距離を離す。  その魔法弾の主には心当たりがある…彼は心底忌々しそうに言葉を吐き捨てた。 「またテメエか!シューシャ!」  投げ捨てられ、再び地に倒れるクルーズを庇うように立つ長身の人影。  彼はその恩人の姿を見上げようと頭を上げ…視線が大きなお尻に阻まれたあたりで限界を迎え、意識を手放した。  * * * * * * *  テーレーレーレーテーテーテー。 「はっ!?」  クルーズが目を覚ました時、真っ先に視界に飛び込んできたのは美しいステンドグラス。そして二つの豊かな球体。  彼が目を覚ましたことに気づいた司祭はにっこりと微笑んで声をかける。 「おお勇者よ、死んでしまっても大丈夫です」 「えっ!?オレ死んだの!?」 「いえ、今のはうちの教会式の挨拶です」  なんて紛らわしい挨拶なんだ…と、クルーズは思った。  どこかぽやぽやしている司祭の膝枕から身を起こした彼は、ようやくそこが教会であることを知る。 「ここは…?」 「ここはプロロ王国、王都ハジマリーの教会…私は司祭のファレミ・ミソドミですよ」 「プロロ王国……そうか、オレ……」 「思い出しましたか?あなたは森でランバージャックに敗北したところを彼女に救われ、ここに運び込まれたのです」  ファレミが視線を促した方向…窓際に立っているエルフの女性にクルーズは目を向ける。  どうやらあの時助けてくれた人影は彼女のようだ。お礼を言わなくてはならない。 「助けてくれてありがとう、君は…」 「あなた、弱いわね」  初めての敗北で傷ついた心に、言葉のナイフが突き刺さる。  ショックを受けるクルーズに対して彼女は容赦なく追撃を加え続ける。 「その上、いきなりランバージャックに挑むなんて思慮も浅い…死ななかったのは幸運と言う他ないわね」 「うぐっ…」 「その歳にしては少しはやるようだけどそれが却って危険なのよ…取返しのつかないことになる前にお家に帰りなさい」 「はぅっ…」  クルーズの薄氷のプライドが音を立てて崩れ去る中、言いたい放題のエルフの女性はさっさと教会を出て行ってしまった。  がくりと肩を落とした彼に、ファレミは少し困ったように笑う。 「彼女…シューシャさんも悪気があるわけではないのです、ただ…不器用な方なのでああいう言い方になってしまうのかと…」  シューシャ・クフ・チウエリカ。  プロロ王国に滞在するエルフ族の中級冒険者であり魔法剣士。  他の冒険者に対し無愛想な態度を取るが、その活動はおおむね協力的で所謂“良い人”だと認識されている。  先ほどの厳しい言葉も全て後輩冒険者を心配してのことだろう…  そうファレミに説明される中、クルーズも厳しい言葉の中にある彼女の優しさを理解していた。 「オレ、ちょっと強いからって増長してたんだな…」  顔を上げた彼は真っ直ぐファレミの目を見据える。  落ち込んでる暇などない、一人旅をやると決めたあの瞬間から、こういう壁にぶち当たることも予想してきたはずだ。  むしろこういう壁こそ乗り越えて強くならなければ父様のようには決してなれない。そう思うと再び闘志が湧き上がってくる。 「司祭様!この辺りで修行できる場所ってない?もっともっと強くならなきゃ!」  眩いばかりの若き眼差し…それを包容力でしかと受け止めたファレミは、にっこりと柔らかな微笑みを浮かべた。 「ええ、修行できる場所ありますよ。ヒマですし案内してさしあげましょう」 「え?ヒマ?……教会のお仕事は?」 「いいんですよ、どうせしばらく誰も来てませんし」  言うが早いか、ファレミはいそいそと出かける準備を始める。  迷える子羊たちの駆け込み寺がこんなのでいいのだろうか…クルーズはそう思ったが、疑問は心の中に留めておくことにした。  * * * * * * *  王都ハジマリー…と呼ばれているものの、その風景は都とは程遠い。  人こそそれなりにいるが大通りでは平然と牛が牧草を引いて歩き、店先に並ぶ商品も他国から数周遅れたようなものばかり。  酒場の店先では昼間だというのに王国兵と冒険者がサイコロ遊びに興じており職務中の緊張感は一切存在しない。  レンハートも結構牧歌的なところがあったが…この国はそれに輪をかけて平和な片田舎だ。 「これが父様の故郷…プロロ王国…」 「のんびりしてていい国でしょう?」  クルーズの何とも言えない呟きに、ファレミはくすくすと笑う。  彼女のどこかズレたリアクションに調子が狂い続けているクルーズは軽く頬を搔きながら会話を続けた。 「…ていうか司祭様は驚かないんだね、オレがユーリン・レンハートの息子ってことに」 「ええ、教会に運ばれてきた時からすぐ分かりましたから。あっ、小っちゃいユーリンさんがいる!って」 「昔の父様と会ったことがあるの?」 「はい、見習いシスター時代に。懐かしいですねぇ…あれから何年でしょうか?」  そう言ってファレミは昔を思い出し、目を細める。  驚くべきことにこの国ではレンハート第三王子という身分を明かしても特に驚かれることはなかった。  それよりもまず指摘されるのは幼い頃の父…ユーリン・レンハートにそっくりという点ばかりだ。  つい先程も父が昔助けたお婆さんにお菓子を貰い、父が昔ぶちのめした元盗賊に恐れられ、父が昔柿を盗んだ家のお爺さんに目の敵にされた。  レンハートでは完全無欠の勇者でアイドルな父も、プロロでは地元の有名な悪童…そんな新たな一面が垣間見えている。 「なんか、意外だったな…オレは勇者で王様でアイドルの父様しか知らなかったから…」 「私としてはそっちの方が驚きです。まさか勇者で王様でアイドルなんて………なんでアイドル?」 「わかんない…なんでだろう…」  とりとめのない会話をしながらファレミが案内してくれた先…冒険者の訓練場に二人は到着する。  初級冒険者に様々な技能を教えるその施設は修行にはもってこいであり、冒険者育成に重きを置くプロロ王国ならではの施設と言える。  相当年季の入った施設内を進みながら、ファレミは思い出したかのようにクルーズに告げる。 「ちなみにこれから会う人はユーリンさんの古くからのご友人ですよ」 「そうなの!?」  父ユーリンが冒険していた頃の友人が各国にいることは知っていた。当然プロロ王国にもいるだろう。  一体どんな人物なのだろう…期待に胸を高鳴らせながらクルーズは訓練所の奥、道場の扉を開く。  そこでは全身鎧の男が二人を待ち構えており、暑苦しいテンションで出迎えてきた。 「来たな、ユーリンの小倅!王都でもすっかり噂になっているぞ!」 「あなたが父様の友達の…」 「おう、俺の名はキョーカン!駆け出し時代、あいつとは幾度となく夢や理想を語り合ったものだ!」 「へえ~!」  キョーカンと名乗った男は昔を懐かしみ、感慨深そうにムフフと笑った。  そんな彼をキラキラした眼差しで見つめるクルーズに、隣に立った細身の女性が絶対零度のツッコミを入れる。 「間に受けない方がいい、本当にくだらない話ばかりしてたから」 「あなたは…?」 「フロト、私も昔からの知り合い」  キョーカンとフロト…かつてユーリンの冒険者仲間であった二人はプロロ王国に留まり、後進の育成に心血を注いでいる。  彼と彼女の教育により初級冒険者たちは冒険に必要な技能を身につけ、一人前となってプロロ王国を旅立っていく。  挨拶もそこそこにクルーズは二人へと向き直り、ここに来た目的である本題に入る。 「オレ…強くなりたいんだ!まずは森のランバージャック…あいつに勝てるようになりたい!」  スレた若者が多い昨今では珍しい、真っ直ぐなその願いにキョーカンの兜の奥の目が光る。  あ、スイッチ入った…と横目で察したフロトは小さく溜息を吐いた。 「ランバージャックか…あいつは見た目はアレだがなかなか強いぞ、勝つためには厳しい特訓が必要になるだろう」 「覚悟の上だよ!まずはあいつに勝たなきゃ父様みたいには到底なれない!」 「…どうやら本気のようだな!いいだろう!それではこれより十日間、基礎の基礎から徹底的に叩き込んでやる!」 「はい!」  ここに師弟関係を結んだ二人はがっちりと握手を交わし…そこでクルーズは注釈を入れる。 「あ、でも基礎はそこそこでいいかな…オレ、お城で剣術も魔法も習ってきてるから」  大臣、ギルフォード・R・ワイズマンは剣の達人だ。彼に教えを受けているクルーズもまた剣に関しては自信がある。  それに魔法の勉強だって日々欠かしていない。特に武器を作る魔法はお手のものだ。  おそらく基礎はある程度省略できるはず…そう思っていたが、対するキョーカンは小さく笑う。 「だがその剣術と魔法がランバージャックには通用しなかった…違うか?」 「うっ…」  それを言われると返す言葉もない。  意気消沈するクルーズの細い肩に、キョーカンがポンと手を置いた。 「確かにお前からは剣も魔法も並ならぬ才覚を感じる…鍛えれば鍛えるほどに伸びるだろう。しかし大事なのはその使い方だ」 「使い方…」 「そう、例え大岩を両断する剣技を持っていてもそれが実戦で発揮できなければ何の意味もない」  顔を上げたクルーズの目にキョーカンとフロト…二人の先輩冒険者の姿が映る。  その自信に満ちた佇まいは、いくつもの死線を潜り抜けてきた歴戦の風格を漂わせていた。 「安心しろ!俺たちならばお前の才覚を最大限活躍させられるよう道を示すことができるだろう!」 「氷魔法は私も得意分野、これからみっちり鍛えるわ…覚悟することね」  この上なく頼もしい教官二人…プロロ王国の冒険者たちを数多く送り出してきたプロフェッショナルの姿がそこにあった。  改めて、クルーズは深々と二人へと頭を下げる。 「よろしくお願いします!!」  そして、十日間に渡る厳しい特訓が始まった。  キョーカンには剣のみならずあらゆる武器の扱いの基礎を叩き込まれ、また冒険に役立つ技能を片っ端から伝授される。  フロトには氷魔法の威力を高める集中や発動を早める高速詠唱、攻撃以外に活かせる精密操作などを骨の髄まで染み込ませられる。  昼食は体作りのために唐揚げ弁当をモリモリ食べ、時折冒険者ギルドの依頼をこなし、夜は借りた教会の部屋でぐっすり眠る。  そんな充実した特訓の日々が飛ぶように過ぎていった…  * * * * * * *  十日後…チカックの森。  森にやってきたクルーズは因縁の相手であるランバージャックと再び向き合っていた。  明らかに雰囲気の変わった彼に、巨大カマキリは感嘆の声を漏らす。 「ほー…十日足らずであのガキンチョが変わるもんだ、俺様に負けたのがそんなに悔しかったか?」 「前まではね、今は成長のきっかけをくれて感謝してるよ」  落ち着いた声色のクルーズに、ランバージャックは気を引き締める。  これはナメてかかると自分が危ない…数多くのリベンジを受けてきた魔物はそう直感していた。  両者はどちらともなく向かい合い、穏やかな森の空気が急激にピリつき始める。 「ならもう一回成長の機会を与えてやるぜ!」 「悪いけど、もう君には負けないよ!」  戦闘開始。  今度は様子見はなしだとばかりに、ランバージャックは四本足で地を蹴り上げて跳躍。一気にクルーズへと間合いを詰める。  そして大斧の手を振りかぶり、再び防御ごと叩き潰すべく一切の容赦なく大上段から振り下ろした。  だがクルーズはそれを最小限のサイドステップで回避、大斧の一撃は呆気なく空を切る。 「何!?」 「見える…攻撃が見えるぞ!」  クルーズの脳裏に思い返されるのはキョーカンとの特訓の日々…その中では昆虫系の魔物に対する戦い方も含まれていた。  昆虫系の魔物はその大半が堅牢な甲殻と強靭なパワーを持ち、そして人間を遥かに上回る瞬発力を誇る。  そんな相手とどう戦うか…相手を上回るパワーとスピードまで鍛えるのもアリだが、もっと効率的な対処法が存在する。 『奴らは高すぎる瞬発力が仇となって常に攻撃が慣性に振り回されている…つまり直線的な攻撃主体になってしまうのだ!』  岩石カブトを容易く仕留めてみせたキョーカンはあの時そう語った。  攻撃軌道の予測できればどれだけ速い一撃でも回避は簡単だ。そして、回避した直後こそ慣性に引っ張られて大きな隙を晒す。 「そこだあっ!!」  クルーズは氷剣を閃かせて相手の弱点…即ち、柔らかい関節部分を狙う。  硬い甲殻に覆われた身体もその部分だけは完全に覆ってしまうことはできない。瞬発力を生むためには柔軟性が必要だからだ。  氷の刃が的確にランバージャックの左肩口を狙い迫った…その時。 「きゃああああっ!!」 「「!?」」  のどかなチカックの森には不釣り合いな、絹を裂くような女性の悲鳴が響き渡る。  クルーズとランバージャックは思わず戦いの手を止め、お互いに顔を見合わせた。  * * * * * * *  時は少し前に遡る。  チカックの森では最近冒険者の行方不明が多発しており、シューシャはその調査に訪れていた。  遭難…はまずありえない。この森はそこまで広くない上に構造も単純…迷う方が逆に難しいだろう。  ならば危険な魔物が突然変異で現れた…ありえなくはないがそうなれば森の環境も変わるはず。可能性は低い。  それにプロロ王国で死亡した冒険者は転移魔法が作動して教会に送られ蘇生を受けるはず…死んだままというのは考えづらい。 「この事件、どうもキナ臭いのよね…」  考えられるとすれば、冒険者たちをさらって監禁している勢力がいる。  だがプロロ王国にそんな大それた組織がいるだろうか…何せ国境近くの山賊が最大の犯罪集団扱いされるレベルだ。 「……ここ、何かある」  思考を巡らせながら探索を続けていた時、シューシャは森の一部に巧妙に隠された道を発見する。  普通の人間ならば見逃していたであろうごく自然なカモフラージュ…しかしエルフ族である彼女は森の変化に機敏だ。  生い茂る草をかき分けて隠し道を進むシューシャはやがて開けた空間に到達、目を疑う光景を目の当たりにする。 「なに…これ…!?」  巨大な木々から無数の蔦が垂れ下がり、その先端には行方不明者たちが半死半生の状態で吊り下げられていた。  薄ぼんやり光る蔦は彼らから魔力と生命力をじわじわと吸い続けており、敢えて生かさず殺さずの状態に留めていることが窺える。  一体誰がこんなことを…どことなく見覚えのある植物にシューシャは犯人を探るべく慎重に観察する。  しかしそれが命取り…頭上に気を取られた彼女は足元に忍び寄ってきた蔦に咄嗟に反応できなかった。 「きゃああああっ!!」 「おや…いつか見た顔ではないか」  左足首を蔦の触手に絡め取られ、吊り下げられたシューシャと目を合わせるように傍の樹が蠢きその顔を露わにする。  不気味な人面樹…彼女はその顔に見覚えがあった。 「まさか…アスラマンジュ!?」  魔森王アスラマンジュ…かつてプロロ王国を襲った魔王戦国時代の魔王。シューシャはその魔王との交戦経験があった。  その名を呼ばれた彼は、恐ろしい声で高らかに笑う。 「グハハハ!!そうだ、ワシが魔森王アスラマンジュだ!!…いや、厳密に言えばそうではないが…」  不意に口ごもる人面樹…確かによく見ればそのサイズはかなり小さい。人間の子供の背丈くらいだ。  かつてのアスラマンジュといえば砦じみた巨大な大樹…今やその威容は見る影もない。 「…どうしたのそれ?」 「ええい、やかましい!これでもようやくここまで戻ったのだ!」  思い返すはかつてアスラマンジュがプロロ王国全土を根と蔦で覆い尽くした時のこと。  勇者ユーリンとの激闘の末に討たれたアスラマンジュは、死に際に己の意思と魔力を込めた種を森の奥に飛ばした。  その種は十年以上かけて芽吹き、苗木となり、今ようやく魔物としてまともに動けるまで成長したのである。  そこでさらに成長すべく最近は初級冒険者を狙って攫い、テリトリーに拘束して魔力と生命力を吸収し続けてきた。  当然、死なれると教会に転移されて情報が漏れてしまう…なので生かさず殺さず慎重に魔力と生命力を奪っていく。  そんな慎重な計画の甲斐あってか現在は飛躍的に力が戻ってきており、あと三年もすれば完全復活も夢ではないだろう… 「生まれ変わった今のワシはアスラマンジュではない……言うなれば、アスラマンジュニアとでも名乗ろうか!!」 「アスラマン…ジュニア!?」  名乗りを上げた人面樹…アスラマンジュニアはシューシャを拘束する蔦に力を込める。  獲物を拘束する緑色の魔力光を発する蔦、それらは命令を受けて彼女の魔力と生命力をじわじわと吸い上げ始めた。  途端、シューシャの全身に猛烈な倦怠感と脱力感が押し寄せてくる…魔力と生命力か吸われたことによる症状だ。 「くぅっ…!や、やめなさい…!」 「グハハハハ!やはりエルフの魔力は良質だな!人間の冒険者とは違う、みるみる力が漲ってくるわ!」 (い、いけない…このままでは本当にアスラマンジュが復活してしまう…!)  シューシャが焦燥に駆られる中…近くでは悲鳴を聞きつけてきたクルーズとランバージャックが木陰で息を潜めていた。  囚われの身となっているシューシャに、クルーズはあっと息を呑む。 「シューシャさんが危ない!助けないと…!」  思わず飛び出そうとする彼を、慌ててランバージャックが引き止める。 「バ…バカヤロウ!ありゃあ魔王だぞ!ガキの勝てる相手じゃねえ!大人を呼んでこい!」  アスラマンジュの恐ろしさはランバージャックもよく知っている…まともにやりあって到底勝てる相手ではない。  しかし、クルーズは首を横に振って小さな人面樹の本体を指差した。 「知ってるよ!父様の本で読んだから!でも見て、あいつまだ完全に力が戻ってないみたいだ!」  えっ、書籍化されてんの?俺の出番は…?そんな考えがランバージャックの脳裏を過ったが今は言っている場合ではない。  アスラマンジュが完全復活すれば奴の手下である植物族が幅を利かせ始め、再びプロロは蔦と根に覆われてしまうだろう。  そうなったら快適な住処を奪われることになる…ランバージャックは今更プロロ王国以外でやっていく自信はなかった。 「ク…クソッ!今のうちにやるしかねえ!」 「ランバージャック、協力してくれるの?」 「奴に復活されちゃ俺も困るんだよ!いくぞガキ!」  言うが早いか、クルーズとランバージャックは木陰から飛び出しアスラマンジュニアと相対した。  突然の闖入者、人面樹は蔦の触手を蠢かせながら睨みつける。 「なんだ貴様らは!ここがワシの領域と知っての狼藉か!」 「ダメ!逃げなさい…!ああっ…!」 「シュ…シューシャさん!今助けるから!」  妙に艶かしい声を上げるシューシャにクルーズは若干赤面しつつも氷剣を構え、彼女を縛る蔦を切り払うべく疾駆する。  しかし当然大人しく解放してくれるはずもない…地面が盛り上がると大量の木の根が出現。大蛇のようにクルーズへと襲いかかった。  のたくる根の連続攻撃をクルーズは身軽に躱しながら、即席の相方へと向けて声を飛ばす。 「今だ!ランバージャック!」 「おおよ!!」  クルーズに攻撃が集中した瞬間、瞬発力で距離を詰めたランバージャックが斧手でアスラマンジュニアに斬りかかる。  植物族の弱点は地に根を張っているがゆえの低い機動力。昆虫族のスピードに対応できるはずもない。  鈍い光を放つ大斧が人面樹の幹に迫り… 「これで俺様は魔王狩りのランバージャックだぜ!」 「カスが、身の程を知れ」 「あ!?…うおおっ!」  アスラマンジュニアの冷たい一言と共に蔦の触手が四方八方から出現。一瞬にしてランバージャックの全身を絡め取った。  蔦はそのままカマキリの巨体を冒険者たち同様吊り下げ、緑色の光を放ちながら魔力と生命力を吸収し始める。  ランバージャックはしばらくもがいていたがすぐに沈黙、力なく手足が垂れ下がる。 「ああっ、ランバージャック!」 「ここはワシの領域と言ったはずだ!この付近一体の植物は全てワシの支配下にある!」  勝ち誇るアスラマンジュニア…怒涛の根と蔦の攻撃を躱しながらクルーズは冷静に敵を分析する。  人面樹の攻撃は単純だがとにかく手数が多い、まるで弾幕のように繰り出される攻撃は本体への接近を許さない。  そして厄介なのは拘束攻撃だ…あれに捕まってしまえば脱出は不可能、成長のための養分にされてしまう。 (何か…状況を打開する作戦は…!)  このまま回避に専念してもいずれは体力が尽きる…状況を好転させるべくクルーズは思考回路をフル回転させる。  まるで走馬灯のように特訓の日々が巻き戻され…やがてその巻き戻りは城を旅立ったあの日まで戻ってきた。  その中…彼はたった一つの光明を見出す。 『ただ氷や冷気をぶつけるだけじゃ炎や雷の魔法の威力には及ばない…けれど…』 (イメージしたものを具現化することができる…それが氷魔法!)  クルーズの脳裏に、フロトの魔法授業での言葉が反芻される。  練習したことのないぶっつけ本番の魔法…しかしこの状況を打開するにはやるしかない。  覚悟を決めたクルーズは敵の攻撃を躱しながら魔力を集中…術式を練り始める。  大掛かりな氷魔法の発動予兆に付近一帯の気温は一気に低下…霧が辺りを包み込んだ。  だが、術式準備による回避力低下と霧による視界の悪化…それらを抱えたまま戦えるほど魔森王は甘い相手ではない! 「捕まえたぞ、小僧!!」 「うわあっ!」  霧を突き抜けて襲ってきた蔦の触手がクルーズの細い手足にがっちりと絡みつく。  素早い相手も四肢を捕らえてしまえばもはや抵抗も脱出も不可能…アスラマンジュニアは勝利を確信した。  そしてそのまま獲物を吊り下げようと蔦に力を込めると……クルーズの身体はガラス細工のように砕け散った。 「な…何ィ!?グオオオオッ!!」  砕けたクルーズの身体から魔冷気の奔流が迸り、直に触れた蔦を伝ってアスラマンジュニアの半身が凍りついていく。  先程砕けたそれはクルーズが魔法で作り出した氷の身代わり…即ち、氷の“デコイにんぎょう”である。  植物の弱点である冷気…それが至近距離で直撃した人面樹は苦しみながら、緩慢な動きで周囲を見回す。  捕らえたのが分身であったなら、本体はどこへ…!? 「レンハート流剣術…!!」  上空だ!  咄嗟にアスラマンジュニアが顔を上げた時、その小さな人影は既に攻撃モーションに入っていた。  眩い太陽を背に氷剣を振りかぶるそのシルエットに、魔森王はかつて自分を倒した勇者の姿を思わず重ね合わせる。 「天空…唐竹割り!!」  一閃。  蔦の触手による対空迎撃を潜り抜け、急降下したクルーズが縦一文字にアスラマンジュニアを斬り裂いた。  成長途中の苗木にとってその一撃はあまりに重く…両断された人面樹は断末魔の悲鳴を上げる。 「グオオオオーーーッ!!こ、小僧…まさか…まさか貴様はーーーーッ!!」  振り抜いたクルーズは残心を解き、軽く一息吐いて名乗りを上げる。 「クルーズ・ディ・レンハート…勇者ユーリンの息子だよ」  やはりか…!  よもやあの男の血族にまたも野望を打ち砕かれることになろうとは…しかもかなり早い段階で。 「ど、どうして…ワシはこうも間が悪いのだ…!」  それが最期の言葉となりアスラマンジュニアは萎れ落ちる。  やがてその支配下にあった植物たちも萎れ始め、吊り下げられていた冒険者たちを解放していった。  その中、一部始終を目撃していたシューシャは心底驚いたように駆け寄ってきたクルーズを見る。 「驚いたわ…あなた、強いのね」 「へへ…そうでもないよ!」  照れくさそうに鼻の下を擦る小さな勇者は、その瞬間は年相応の子供のようであった。  * * * * * * *  数日後…  旅支度を済ませたクルーズは年季の入った王都の門の前に立ち、見送りに来た三人に振り返る。  その中の一人、ファレミが名残惜しそうに呟いた。 「もう行ってしまうのですね、せっかく仲良くなれたのに…」 「うん、今までありがとう司祭様!まだまだ行きたいところがたくさんあるから!」 「しかしもう少しゆっくりしていっても…」  食い下がるファレミに、隣に立ったキョーカンとフロトが揃って首を横に振る。 「いや…なるべく早めに旅立ったほうがいい、既に新たな勇者が現れたと話題になり始めている」 「ええ、特に王族の耳に入るとまずい…他国の王子が勇者とか絶対に逃してくれないわよ」 「王子で勇者なのに捕まるの!?」  いつになくシリアスな口調で話す二人にクルーズは思わずツッコミを入れる。  とにかく早めに旅立った方がいいのは間違いなさそうだ。彼は隣に立つシューシャに目を向ける。 「それで…シューシャさんは本当にオレについてくるの?」 「借りを返すまでよ、私には追わなければいけない仇がいるから…」 「なら最初のとチャラでいいのに…」  義理堅いというかこのままではキリがないというか…  クルーズとシューシャは見送る三人に別れを告げると、王都を出て街道を歩き始める。向かうは国境近くのホドホド村だ。 「それで…プロロを出た後はどこへ向かうの?」 「次はサンク・マスグラード帝国!父様はそこで夢魔王と戦ったんだ!」  こうして父の旅路を辿っていけば、旅の終着点…レンハートに戻れた時には立派な勇者になれているに違いない。  輝かしい未来を夢に描き、次なる出会いと冒険に期待に胸を膨らませながら、勇者クルーズは旅路を往く。  今日もよく晴れた空には、その道程を祝福するかのように太陽がキラキラと輝いていた。  * * * * * * *  一方、チカックの森。  戦いを挑まれたランバージャックは斧手をギラつかせながら目の前に立つ人間を恫喝する。 「勇者クルーズを初めて負かしたこのランバージャック様に挑んでくるとはな…とんだ命知らずもいたもんだぜ!」  その名を聞き、人影はぴくりと震える。  相手のその反応を恐怖と認識したランバージャック、これはしたりと一気呵成に襲いかかった。 「テメエにも同じように敗北の味を教えてやらあ!」  勝負は一瞬だった。  地に伏せるランバージャックを踏みつけながら、そのメイドは眼鏡の奥の冷徹な視線をぶつける。  ボコボコに叩きのめされた巨大カマキリは、先ほどとは打って変わった謙虚な態度で平謝りした。 「あの…調子乗ってホントすいません…命だけは助けてください…」 「…クルーズ様は?」 「いやホント…自分、初狩りしかできないザコなんで…殺す価値もないっていうか…」  質問に答えず、ひたすらに命乞いを続けるランバージャック。  対してメイドは踏みつける力を強め…ギリギリと肉と骨が軋む音が響き渡った。 「もう一度聞きます。クルーズ様は、どこへ?」 「痛だだだだだ!!ホドホド村!!あいつならホドホド村に行くって言ってました!!」  その答えを聞くとメイドはブーツの足を上げ、解放されたランバージャックは全速力でその場から逃走する。  顔を上げた彼女…ローシュはきらりと眼鏡を輝かせ、ホドホド村の方角へ一目散に駆け出した。 「今お供に参ります!!クルーズ様ァァァァ!!」  プロロ王国のよく晴れた空に、そんなメイドの咆哮が響き渡るのだった。